軍艦島の歴史と記憶を追体験する感動の旅『帰れマンデー見っけ隊!!』
2024年12月2日に放送されたテレビ朝日の特番『帰れマンデー見っけ隊!!』は、長崎県の世界遺産・軍艦島に緊急上陸し、島の非公開エリアに潜入するというスリリングで感動的な内容でした。特に注目されたのは、元島民たちが自身の思い出の場所を再訪し、崩壊の危険を伴う過去の痕跡を探し求めるという、まさに時を超えた旅となった点です。
軍艦島とは?
軍艦島、正式には端島(はしま)は、1950年代に石炭採掘で栄えた炭鉱の島。最大時には1.2kmの外周に約5300人が暮らし、住民たちは高い生活水準を享受していました。1960年代当時、テレビ普及率が全国平均約10%だった中、軍艦島ではほぼ100%という驚異的な状況があったといいます。しかし、1974年に石炭が掘り尽くされ、閉山後は無人島となり、2015年には世界文化遺産に登録されました。現在もその名残を残し、観光名所として再注目されています。
番組内容と元島民の思い出
番組では、元島民たちが自らの思い出の場所を訪れることを中心に、島の現在と過去を織り交ぜた探訪が行われました。ゲストとして出演したタカトシ、サンドウィッチマン、そして小泉孝太郎さんは、元島民たちと共に軍艦島内を歩き、かつての生活の足跡をたどります。
プールと学校の思い出
元島民の一人が語った「冬でも遊べたプール」は、かつて島の子どもたちにとっての貴重な遊び場でした。特に冬は海が荒れるため遊泳は禁じられていましたが、代わりに海水を使ったプールが提供されていました。現在そのプールは岩で埋まってしまっているものの、当時の名残を感じることができました。
また、島で唯一の学校も紹介されました。軍艦島には、炭鉱で働く大人たちに代わって子どもたちが集まる場所が必要でした。学校の校庭や教室の様子が当時の映像で紹介され、懐かしさとともにその過酷な環境が伝わってきました。
端島神社と「厚生食堂」
次に訪れたのは「端島神社」、島民たちの心の拠り所であった場所です。神社は台風に耐えながらも、今なおその姿を残しています。さらに「厚生食堂」も再訪され、元島民たちが懐かしむ食事の場所として、ちゃんぽんなどの料理が紹介されました。食堂は、島で働く人々の福利厚生のために設立され、多くの島民に愛されていました。
65号棟と貴重な発見
最も感動的だったのは、非公開エリアに足を踏み入れ、65号棟と呼ばれる最も高いアパートの跡を訪れたシーンです。かつて1500人が暮らしていたというこの建物の中には、当時のテレビや家具が残されており、時間の流れを感じさせるものでした。また、このエリアで発見されたのは、閉山前に書かれた貴重な新聞記事。島を離れる直前の情景が記されたその記事は、軍艦島の歴史の一部として今後も保存されることとなりました。
クジラジャガと軍艦島の思い出の味
番組の後半では、元島民が懐かしむ「クジラジャガ」を求め、長崎の新地中華街を訪れました。クジラ肉を使ったこの料理は、軍艦島の子どもたちにとって貴重なタンパク源であり、島の味として多くの人々に愛されていました。長崎の鯨料理店「とんぼ」で、クジラジャガを実際に味わいながら、元島民たちは当時を振り返ります。
まとめ
『帰れマンデー見っけ隊!!』の軍艦島スペシャルは、単なる歴史探訪にとどまらず、元島民たちの感動的な思い出とともに、軍艦島という特殊な場所の意味を再確認させてくれる番組でした。無人島となった現在も、そこには島民たちが生きた証が深く刻まれています。あの頃の島の風景や、そこに生きた人々の暮らしが、まるで昨日のことのように感じられる瞬間が多くありました。この番組を通じて、軍艦島の過去と向き合い、その重要性を改めて認識することができたのではないでしょうか。