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歴史探偵 平安武士と蝦夷 ― アテルイVS坂上田村~前九年合戦

【歴史探偵】平安武士と蝦夷 ― 蝦夷のリーダー、アテルイとその戦術に迫る

2023年12月3日、NHK総合1・東京で放送された「歴史探偵」では、平安時代の武士と蝦夷に焦点を当て、貴族が都で華やかな生活を送る一方で、東北地方で朝廷に戦いを挑んだ蝦夷たちの物語が紹介されました。今回の特集では、名将アテルイの戦術と蝦夷と武士との知られざるつながりを深掘りします。

蝦夷のリーダー・アテルイとは?

8世紀、東北地方には狩猟を生業とする人々が暮らしていました。この人々を「蝦夷(えみし)」と呼び、そのリーダーがアテルイです。アテルイは、朝廷に対して激しい抵抗を繰り広げ、蝦夷を一つの大きな勢力にまとめ上げました。その戦術は非常に巧妙で、朝廷軍を何度も打ち破ったと言われています。

特に、789年の戦いでは、アテルイが朝廷軍を北上川の東側に誘い込み、深追いしてきた敵軍に対して伏兵を差し向け、大勝を収めました。実際、朝廷軍は6000人中1000人以上を失うという大敗を喫しています。この戦術の巧妙さから、アテルイは都の貴族たちにとって恐ろしい存在となり、後に「鬼を引き連れて暴れまわるアテルイ」の伝説が生まれました。

坂上田村麻呂との対決

アテルイを討伐するため、平安時代の武将・坂上田村麻呂が朝廷から派遣されました。しかし、単なる戦闘ではなく、坂上田村麻呂は宴会を開き、アテルイとその部族を分断し、力を削ごうとしました。これにより、アテルイを降伏させるための軍事的圧力が強まり、最終的にアテルイは802年に降伏、そして京都にて斬首されることとなりました。

蝦夷と源氏、そして騎射の技術

アテルイが降伏し、蝦夷が朝廷の支配下に入った後、蝦夷の人々は強制的に全国各地に移住させられました。特に関東地方では、蝦夷の優れた騎射の技術が重宝され、警察の役割を果たすことになりました。その後、源氏の棟梁・源義家が登場し、源氏は東北地方で再び力を取り戻します。

源義家の父は東北の国司を務め、蝦夷のリーダーが攻撃を仕掛けてきたため、これを討伐しました。源義家はその後、騎射の名手として知られ、**八的(やまとく)**という馬を走らせながら8つの的を射抜く技術で名声を得ました。流鏑馬の的よりも多く、サイズが非常に小さいため、その技術は「神のようだ」と称賛されました。

平安時代の東北と戦乱

このように、蝦夷と源氏、さらには平家や藤原家との関わりは、東北地方の歴史において重要な役割を果たしました。特に、蝦夷が再び力を取り戻した1051年の前九年合戦では、源氏が東北へ遠征し、蝦夷のリーダーを滅ぼしました。

藤原清衡と東北の平和

藤原清衡は、源義家の仇敵とも言える源氏に従い、東北で長年続いた戦争を収め、東北に100年の平和と繁栄をもたらしました。清衡は中尊寺を建立し、その戦争の犠牲者を供養するため、戦争で亡くなった者たちを浄土に導くことを願いました。このように、藤原家と源家は複雑に絡み合いながら、東北地方の歴史を作り上げていったのです。

まとめ

「歴史探偵」の今回の特集では、平安時代の蝦夷と武士の知られざるつながり、アテルイと源氏、さらには源義家の戦術や技術に迫りました。平安時代の東北地方は戦乱と平和の交錯する場所であり、その歴史を学ぶことは、日本の歴史の奥深さを理解するために欠かせないものです。

「歴史探偵」を通じて、アテルイや源氏の戦術、さらには源義家の騎射の技術に触れ、歴史の中に隠されたドラマを感じてみましょう。