「ブラタモリ」東海道五十七次の旅 – 第二夜 京都競馬場と石清水八幡宮へ
2024年11月3日放送の『ブラタモリ』では、東海道五十七次の旅の第二夜が放送されました。タモリさんと佐藤茉那アナウンサーは、京都・淀の宿場町を訪れ、徳川家の思惑とその背景に迫る内容となりました。特に、京都競馬場や石清水八幡宮が舞台となり、江戸時代の街道に隠された歴史と徳川幕府の策略が浮き彫りになります。
五十五番目の宿場町「淀」を探る
今回の旅の舞台は、五十五番目の宿場町「淀」です。淀は、京都府の南端に位置し、江戸時代には東海道五十七次の重要な宿場町でした。この地は、京都競馬場があることでも知られ、2025年には競馬場が開設100周年を迎えるという歴史的な場所です。競馬場の中心には、大きな池が広がっていますが、この池はかつて巨椋池(おぐらいけ)という巨大な池だったことが紹介されました。この池は、昭和初期に干拓され、宿場町が作られた場所となったのです。
タモリさんは、淀の土地がかつて水浸しだったことから、宿場町をなぜここに作ったのかという疑問を投げかけます。この土地には豊臣秀吉が築いた堤防もあり、彼の時代からの歴史的背景が見えてきます。
水浸しの土地に宿場町を作った理由とは?
淀の宿場町は、かつて水浸しだった土地に築かれましたが、このような場所に宿場を設けた理由は、徳川家の権威を示すためだったのではないかとタモリさんは指摘します。宿場町の設置において、単なる交通の便を考慮しただけではなく、権力を象徴する意味があったというのです。宿場町は、単なる通過地点ではなく、徳川の強さと影響力を示す場所としても機能していたのでしょう。
石清水八幡宮への旅 – 防衛の要所としての意味
さらに、タモリさんと佐藤アナは、石清水八幡宮を訪れます。この神社は、平安時代に創建され、現在の本社は徳川家光の手によって寛永11年に造営されました。石清水八幡宮は、名だたる武将たちが信仰した場所としても知られ、その歴史的価値は計り知れません。
石清水八幡宮が位置する場所は、2つの山に挟まれた関門のような地形にあり、京都に入るための重要な通路を守る役割を担っていたことが強調されました。この神社の立地は、京都を守るために戦略的に選ばれた場所であり、ここにアクセスするためには非常に狭い隙間を通る必要があったのです。
淀城と徳川の防衛戦略
さらに、タモリさんたちは淀城を訪れます。淀城は、京都の重要な関門の前に建てられ、西の勢力に対する防波堤としての役割を果たしていました。この城の設置には、徳川幕府が江戸を守るための戦略的意図が隠されていました。もし、淀城がなければ、京都への侵入を防ぐことは難しかったでしょう。徳川家は、京都という重要な場所に対する防衛体制をしっかりと整え、戦国時代の混乱から自らの権力を守ろうとしたのです。
まとめ
『ブラタモリ』の第二夜では、淀という宿場町とその周辺の歴史的背景を深堀りし、徳川家の戦略が色濃く反映された場所を訪れました。京都競馬場の存在や、石清水八幡宮の戦略的な立地、さらには淀城の設置に隠された思惑など、江戸時代の政治的な背景を知ることができる貴重な時間となりました。
東海道五十七次の旅は、単なる街道の歩みだけではなく、その道を支えた歴史的な背景や徳川幕府の思惑を知ることで、より深い理解を得ることができました。次回の放送も、これらの歴史をさらに掘り下げていくことが予想されるので、引き続き楽しみにしたいですね!