新プロジェクトX 緊急派遣5千人 日本メーカーの総力戦〜タイ大洪水との闘い
日本メーカーの総力戦:タイ大洪水との闘いと復興の物語
2011年10月、タイ中部を襲った史上最大級の洪水は、タイ国内だけでなく、世界中に影響を及ぼしました。特にタイ中部のロジャナ工業団地に立地する日系企業の工場群は、甚大な被害を受けました。工場が水没し、製造ラインが止まる中で、現地のリーダーたちと従業員たちが立ち上がり、メードインジャパンを支えるための前代未聞の復旧作業が始まりました。今回は、その壮絶な復興劇を振り返り、タイ大洪水の中で繰り広げられた奇策と人々の絆について考えてみたいと思います。
洪水の猛威:タイ中部のロジャナ工業団地
2011年、タイは100年に一度とも言われる大洪水に見舞われました。タイの中部、アユタヤに位置するロジャナ工業団地は、多くの日系企業が生産拠点を構えていた場所で、ここでも150社以上の工場が水没しました。ニコン、パイオニア、ラピスセミコンダクタなど、著名な企業の工場も例外ではなく、生産設備が泥水に浸かり、出荷が停止しました。これにより、日本国内でも生産停止が連鎖的に発生し、企業にとっては未曾有の危機となったのです。
リーダーたちの決断と行動
当時、ニコンタイランドで社長を務めていた村石信之さんや、ラピスセミコンダクタ・アユタヤの山田隆基さんは、突然の災害に言葉も出ない状態でした。しかし、山田さんは「仲間と支え合うしかない」と冷静に決断。彼の指導の下、工場の復旧に向けた大胆なプランが浮かび上がります。それは、水没した生産ラインを一時的に日本に移転するというものでした。特に重要だったのは、現地にしかない金型や設備を泥水の中から回収し、熟練工たちを日本に派遣して日本の工場で生産を再開することでした。
タイから日本への派遣:困難な交渉と支援
この提案は、実現が困難なものでした。日本政府や関係機関は、タイ人労働者の就労ビザを出すことに懸念を抱き、簡単には許可を出しませんでした。しかし、ジェトロ(日本貿易振興機構)の助川成也さんの粘り強い交渉と、日本のリーダーたちの決意が実を結び、約5400人ものタイ人従業員が日本に派遣されることとなりました。この大胆な計画は、技術力と生産力を支えるための最良の手段だったのです。
タイ人の勇気と笑顔
派遣が決まった後、タイの従業員たちは日本での生活に不安を抱えながらも、自らの技術を信じ、復旧作業に取り組みました。特に印象的だったのは、タイの従業員たちがどんな困難な状況でも笑顔を忘れず、仲間を助け合う姿勢です。工場で泥水と格闘しながらも、彼らは「笑顔で闘おう」という精神を持ち続け、仲間と支え合いながら作業を続けました。例えば、ニコンの村石社長は、従業員が家庭の被害を受けながらも、徹夜で工場を守り続けたことを振り返り、「彼らの姿勢が工場復旧への強い信念となった」と語っています。
日本の復興とタイの人々の絆
日本に派遣されたタイ人従業員たちは、全国の工場で生産ラインを再開させるために奮闘しました。タイ人技術者たちは、日本の工場で「メードインジャパン」の生産復旧を支え、企業の命運を繋ぎました。そして、翌年1月、タイ国内の復旧が始まるとともに、日本での派遣任務も終わりを迎えました。
再起と未来への希望
タイで工場を失ったラピスセミコンダクタの山田さんは、工場の閉鎖を迎えることになりましたが、従業員の新たな就職先を見つけるなど、支援を惜しまなかったことが感謝の言葉として社員に伝えられました。山田さんが行ったことは、ただの復旧作業にとどまらず、人々の生活と未来を支えるための「家族のような絆」を築くことだったと言えるでしょう。
最後に
2011年のタイ大洪水は、自然災害の脅威を感じさせると同時に、企業と人々の絆の大切さを再認識させてくれる出来事でした。日本の企業はもちろん、タイの従業員たちが見せた連帯感と勇気こそが、この復旧劇を成功に導いた要因だったと言えます。今後もこのような困難な状況に直面した際、人々の絆がどれほど重要かを忘れずにいたいものです。