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93歳の新聞記者 東京都中野区 ドキュメント20min.

93歳の新聞記者—友子さんが紡ぐ「週刊とうきょう」の歴史

2024年6月24日放送のNHK『ドキュメント20min.』では、93歳の新聞記者である友子さんが取り上げられました。彼女は、東京・中野区で月2回発行されるローカル新聞「週刊とうきょう」の記者として、取材から執筆、構成、さらには配達までをこなす日々を送っています。その驚くべきエネルギーと情熱に迫るドキュメントを通じて、友子さんの仕事への姿勢や長年にわたる新聞記者としての軌跡が描かれました。

取材から執筆まで—93歳の挑戦

友子さんは、93歳という年齢にもかかわらず、毎回自らの足で取材に出向きます。例えば、5月12日には家から40分かけて体育館を訪れ、柔道大会の取材を行いました。写真を撮りながら気になったことはすべてメモに取り、確実に記事を形にしていきます。取材を重ね、事実を淡々と、そして公平に伝えることを心がけているという友子さん。その姿勢からは、報道に対する真摯な思いが伝わってきます。

また、友子さんは1940年代に生まれ育ち、戦争の影響を受けながら成長しました。10歳のときには太平洋戦争が始まり、戦局がどうなるかも知らされずに、大人たちが信じていた「日本の勝利」を信じていたことを回想しています。これらの経験も、彼女の公平な報道の姿勢を育んだのかもしれません。

執筆から校正、そして印刷へ

取材が終わると、友子さんは記事の執筆に取り掛かります。自らが大切にしているのは、「なるべく公平に、事実を淡々と書くこと」。5月15日には記事をまとめ、次のステップへ進みます。さらに、友子さんは「週刊とうきょう」の紙面作りにも力を入れています。校正はすべて自分の手で行い、誤字脱字をチェックし、誤解を招く表現がないかを確認します。その徹底した作業ぶりに、長年の経験と高い責任感がうかがえます。

毎回、校正は4回行われ、最終的には娘の久美子さんと共に読み合わせを行い、完全な形で紙面が完成します。このような地道な作業が、「週刊とうきょう」のクオリティを支え続けているのです。

人生のパートナーと共に歩んだ新聞記者としての道

友子さんは、夫とともに「週刊とうきょう」を立ち上げました。夫は元々新聞記者として活躍していたものの、独立してローカル新聞を創刊しました。友子さんはその後、記者として活躍し始めましたが、1982年に夫が急死した後も、1人で新聞を運営し続けています。夫との思い出や教えが、今でも友子さんの新聞作りに生かされていることでしょう。特に、夫から「筆1本で人を殺しも生かしもできる」と言われたことは、友子さんの報道に対する真摯な姿勢を象徴する言葉です。

変化するメディアの中で

友子さんは、今後のメディア業界についても思索を巡らせています。5月24日に、最終確認の後に印刷が行われ、記事が紙面に掲載されます。その中で、友子さんは「AIやITがメディアに代わる時代が来るかもしれない」と語り、そうした変化にどう立ち向かうべきかを考えていると言います。テクノロジーの進化に対しても、友子さんは「何が生き残れるのか」と問うことで、情報を伝える力の大切さを再認識しているのです。

終わりなき情熱

93歳という高齢ながらも、友子さんは日々新聞記者としての仕事に取り組み続けています。取材から執筆、校正、印刷まで、一切の手を抜かず、常に最前線で仕事をしている姿は、どんな若い記者にも負けない情熱を感じさせます。友子さんが歩んできた道のりは、ただの新聞記者の物語にとどまらず、人生そのものの誠実さと情熱を象徴するものです。

これからも、友子さんの目線で伝えられる「週刊とうきょう」の記事が、多くの人々に届けられ続けることを願ってやみません。