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スロベニアで日本食堂「マツリ」営む大塚さん 世界の秘境で大発見!日本食堂

スロベニアでたこ焼き屋を営む大塚さんの挑戦と成功の物語

スロベニア、ヨーロッパの秘境とも言える美しい国。日本人にはほとんど知られていない場所で、たこ焼き屋を営む日本人がいます。その名は大塚さん。名古屋出身の48歳の男性が、言葉も通じない異国で成功を収めるまでの軌跡に迫ります。

スロベニアとは?

スロベニアは、日本から飛行機で約18時間の距離に位置し、年間の日本からの渡航者数はわずか9428人。人口は200万人と非常に少ないため、国土面積は四国とほぼ同じながらも、あまり多くの日本人が訪れることはありません。そんなスロベニアで、大塚さんは一念発起し、48歳で移住。言葉も話せない状態から、日本食を提供する店を開くことを決意したのです。

スロベニアで日本食堂「マツリ」を開店

リュブリャナというスロベニアの首都にある**「マツリ」は、今や現地で大人気の日本食堂です。お店の看板メニューは、たこ焼き。日本でも定番のストリートフードですが、スロベニアではタコが苦手な人が多いため、最初は大きな壁にぶつかりました。そこで、大塚さんはタコの代わりにエメンタールチーズを入れてみると、現地の人々にも受け入れられ、人気メニューに。今では、普通のたこ焼きも認知され、2つの味を楽しみに訪れるお客さんでにぎわっています。

日本の味を届けるための努力

大塚さんの料理は、たこ焼きだけにとどまりません。豚丼やカツカレーなどの日本の定番メニューもラインナップに加わり、週末には多くの客がその味を求めて店を訪れます。特にカツカレーの魅力は、加熱したニンニクを大量に入れることで中毒性のある深い味わいが生まれ、これが現地の人々に大ヒット。炒飯やお好み焼きなどのメニューも人気で、注文を受けるだけで30分待ちという日も珍しくありません。

一人で店を切り盛りする大塚さん

大塚さんは、一人で全ての作業をこなしているため、非常に忙しい毎日を送っています。接客から調理、すべてを一手に引き受けていますが、金銭的余裕がなく他のスタッフを雇うことができないという現実も。開店から閉店まで休む暇もなく働き、午後7時に初めて座ることができるという過酷な生活を送っています。それでも大塚さんは、仕事の大変さを感じつつも、精神的には充実していると語ります。

大塚さんの決断と人生の転機

大塚さんの人生は、決して順風満帆ではありませんでした。18歳で名古屋のホテルで調理師として働き、調理師免許も取得。その後、水商売を経て営業マンとしても働きましたが、過酷なブラック企業での勤務はストレスが身体に大きな影響を与え、髪の毛が抜けるほどの激務に悩まされていました。「死ぬまで働きたい」という気持ちを抱えながらも、身体が壊れていくのを感じ、定年後の人生に疑問を抱いた彼は、スロベニアでたこ焼き屋を開くという夢を抱くようになりました。

スロベニアでの生活と人々の助け

スロベニアでの生活は、まさに異国の地での挑戦そのものでした。大塚さんは、現地の言葉もわからず、日本語で接客を行っているものの、英語やスロベニア語もできない状況。それでも、彼の店は次第に現地の人々に受け入れられ、成功を収めることができたのです。また、現地のヴィドさんという友人が、大塚さんの支えとなり、店の手続きや日常のサポートをしてくれています。ヴィドさんは、自身の仕事の合間に大塚さんを手伝い、スロベニアでの成功を応援しています。

スロベニアの生活費と物価

スロベニアでの生活費も、日本に比べてかなり安いという点が大塚さんには助けになっています。例えば、スーパーでの買い物では、ビールが56円という驚きの安さ。また、パンは30円と手頃な価格で、日常の食材も安価で手に入れることができます。

夢を追い続ける大塚さん

大塚さんの物語は、異国で夢を追い続ける勇気と努力の象徴です。日本食堂「マツリ」が現地で成功を収めるまでには多くの苦労がありましたが、その努力と情熱が実を結んでいます。彼のストーリーは、どんなに困難な状況でも諦めずに挑戦し続けることで道が開けるということを教えてくれます。

スロベニアでの大塚さんの挑戦は、今後も多くの人々に勇気を与え、さらなる成功を収めていくことでしょう。