『大追跡グローバルヒストリー』1月6日放送:幕末イギリス密航!謎のサムライチームを追う
2025年1月6日放送の『大追跡グローバルヒストリー』では、幕末にイギリスに密航したサムライたちの足跡を追う特集が展開されました。出演者の上田晋也さん、村上佳菜子さん、ヒコロヒーさんが、それぞれの視点で当時のサムライたちがどのように生き抜き、世界を変えていったのかを解き明かしていきます。
最年少サムライ、長沢鼎の波乱万丈の人生
番組で特に注目されたのは、薩摩藩の最年少サムライ、長沢鼎(ながさわ かなえ)の波乱に満ちた人生です。長沢は13歳という若さでスコットランドの中学校に通うことになり、通常の大学教育を受けることはありませんでした。その後、町の図書館に残された長沢の記録を基に、彼の優れた学業の成績が紹介されました。特に地理やラテン語、英文法の科目でトップの成績を収め、名を馳せていたことが分かります。
長沢の勇敢なケンカとその道具
さらに、長沢の若き日のエピソードでは、ケンカで使用した道具がクイズのテーマに。番組内で「長沢がケンカの時に使った道具は?」というクイズが出され、正解は「ステッキ」でした。長沢は鋭い一太刀を振るうことでも有名で、いじめっ子たちが尻尾を巻いて退散する場面が描かれました。このエピソードは、彼の勇敢さと強さを象徴しています。
長沢の留学とアメリカでの冒険
長沢は、1867年に薩摩藩が幕府との戦争準備に入り、留学資金の仕送りが途絶えてしまう事態に直面します。その後、イギリスに残っていた6人の留学生たちは、物価の安いアメリカへと渡ることを決心します。長沢も先輩たちに誘われてアメリカに渡り、農園で働きながら留学を続けます。この時、ワイン造りに魅了され、後に自らワイン業界に革命をもたらすことになります。
ワイン王として世界に名を馳せた長沢
長沢は、アメリカに留まることを選び、そこで独自の接ぎ木技術を開発し、フィロキセラという害虫からぶどうの木を守りました。この技術により、アメリカのワイン産業は発展し、1882年には30歳でワイン販売会社を設立。カリフォルニアワインを世界に広めるための販売網を築き上げ、「ワイン王」と呼ばれるまでに成長しました。
長沢の遺産と後世への影響
長沢の偉業は、その死後も語り継がれ、1982年には来日したレーガン大統領が彼の功績を日本に伝えました。長沢は1934年、82歳で生涯を閉じましたが、彼のワイン業界への貢献は今なお色あせることなく、多くの人々に影響を与えています。
最後に訪れた現地の長沢の子孫との対面
番組の最後には、長沢鼎の子孫と対面するシーンが描かれました。現地に住む子孫からは、長沢が愛用していた日本刀が紹介され、彼の歴史を物語る貴重な遺品が登場しました。この日本刀を手にした子孫たちは、長沢の遺産を大切に守り続けている様子が伺えました。
上田晋也の感想
上田晋也さんは、長沢鼎について「すごい人がいらしたとはね。しかも、ワインを作ったのが焼酎の国の人だよ」と驚きの声を上げました。長沢のサムライとしての誇りと、後にワイン業界で成し遂げた偉業のギャップに感銘を受けた様子が印象的でした。
今回の放送では、幕末のサムライたちがどのように世界と繋がり、異文化に触れながら成長していったのかが詳細に描かれました。長沢鼎の生き様は、単なる歴史の一部に留まらず、現代においてもその影響力を感じさせるものです。彼のように波乱に満ちた人生を送ったサムライたちの足跡を追い、歴史の奥深さを再認識できる貴重な時間でした。